1991年に『あの頃のように』で世の中に出て来て、2000年あたりまで活動をしていた障子久美さんを色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- 氏名 障子 久美
- 生年月日 1964年5月25日
- カテゴリー 歌手
- 活動開始 1990年
現在の活動。結婚してる?歌手は引退?「あの頃のように」の誕生秘話は?
現在の活動は、タワーレコードにて過去作と配信限定アルバムがリリースされています。しかしながら、新たな活動を始めたわけではなく活動休止という状態は現在も続き、今後どの様な形で活動再開するのか興味が沸いてきます。
結婚してるのかについては、それに付随する記事はなく結婚しているか否かは解りませんでした。今後どこかでインタビューを受けた際に明らかになる可能性は孕んでいます。今後どこのMediaのインタビューを受けるか楽しみです。
引退については、本人が宣言しないと引退という形にはなりません。しかしながら、芸能の仕事は人に求められなくなったら、終焉という事になります。自分で仕事を作り出すことが難しい業種の一つと言えます。
障子久美さんの場合は、僅かながら復帰の可能性が残っていると言っても良いと思いますが、時代がそれを受入れてくれるかどうかは新作をリリースしてみないと解りません。今後の動向が楽しみです。
続いては障子久美さんの楽曲、「あの頃のように」について書いて行きます。この曲はセカンドシングルに当り、金曜夜22時に放送されていたドラマ『それでも家を買いました』の主題歌として起用されました。
1991年5月9日発売、売上は25.9万枚。オリコン年間ヒットチャート51位。スマッシュヒットを記録しました。この当時は楽曲のクオリティーが高ければかなりの確率でヒットする事が出来た時代で有り、シングル曲については必ずと言って良いほどドラマ主題歌やCMソングに起用されていました。
この当時は、インターネット登場前でテレビがメディアの王様で起用されればある程度のヒットは約束されていました。他のアーティストでも90年代に売れた楽曲があるのでアーティスト活動が出来ている人も居るほどです。
障子久美さんもその潮流に乗って世の中に出て来た歌手の一人です。楽曲はメディアムバラードなのでリリース後一気に売れるタイプの楽曲ではなく、地道に人の耳を捉え浸透していくタイプの楽曲でした。
作詞、作曲は障子久美さんでした。
まとめ
今回は障子久美さんを掘り下げてきましたが、現在は活動休止状態で足取りが掴めない状況です。CDセールス的にもレコード会社が期待するほどの売上が伸びず活動を継続することが難しくなったのかもしれません。
そうなると、中々次の活動の方法が見つからず作品のリリースまで行かないのかもしれません。最近は、大手レコード会社に入らずネットで作品を公開し聞いて貰う事で収入に繋げる方法やライブをやりながら会場でCDを手売りするなどの方法があります。
CDを手売りすると、意外な程儲かるという話もあるほどです。元々歌が上手いだけに活動しないことは勿体ないと感じるほどです。最近、音楽を届けようとしたらボーダレスになりつつあります。
日本の地方で活動していても、都会で活動していても音楽を世界に発信することは環境さえ整えばやることが出来る時代です。そのため選び方さえしっかりしていれば名前の知られていない良質なアーティストと出会う可能性はあるのです。
最近の流行りとして、海外で日本の1980年代がブームとなっており、松原みきさんの『天国のドア』や亜欄知子さんの作品などが注目されています。90年代ブームがもしも来たら障子久美さんの楽曲もフューチャーされる可能性が高まります。
日本では90年代楽曲はカバーされ倒しているので、ブームはもう去っているのですが、海外ではまだまだこれからという感じです。90年代は打ち込みと人間が手で弾いているアナログのバランスが絶妙に良いので国や人種を越えて届くような気がします。