1980年代にアイドル歌手、女優として活動した甲斐智枝美さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 甲斐智枝美 (本名 長谷部 智枝美)
- 生年月日 1963年6月16日
- 出身地 福岡県 大牟田市
- カテゴリー 女優 アイドル
- 活動期間 1980年~1990年
死因と歌手としての評価。結婚してた?「スタア」「さよならサンセット」「si! si! c!」の誕生秘話は?
2006年7月10日、首つり自殺をしており死因は自殺と断定されました。亡くなる数年前に心不全を発症し、入院していたこともあります。その上、更年期障害と闘う日々が続き精神的にも追い込まれ、家計も苦しいと漏らして居たと言われており自殺を選択するしか無かったと思われます。
体が何でも無ければ少々お金がないことは問題と言えば問題ですが、体が元気であれば違った考えも浮かんでくることもあり、新たな活路などを見いだすことも出来ると思いますが体が辛いと新たな展開など考える事は出来ません。
ましてや更年期障害という終息がわかりづらい病気のため、症状が重く出てしまうと言葉では言い切れないつらさがあるようです。また厄介なところは人によって出現する症状が違っており、悩みを相談しても理解されない部分もあるためです。
歌手としてはデビュー当時こそ期待される存在でした。歌唱力は充分にアイドル歌手として戦えるだけのものは歌声を確認した限りではあったと思われます。同期のアイドルは松田聖子、三原じゅん子、岩崎良美、河合菜保子、等の実力派が揃ってしまったこともありました。
歌の実力だけでは勝てると思いましたが、実際レコード売上は振るわず、20歳の時にヌードとなって芸能生活逆転を狙い成功しその後は女優として活動していました。スター誕生!でグランドチャンピオンとなり期待されていましたが、残念な歌手活動となりました。
結婚については、1990年にドラマーの長谷部徹さんと結婚しそれを機に芸能界を引退しました。出会いは高校時代に遡り甲斐智枝美さんのデビューが決まり、堀越学園に編入その時に同級生だったと言うのがきっかけでした。
子供は二人出産しました。子育て終了後は芸能界に復帰したい旨を周囲に話していたとも言われています。
ここからは甲斐智枝美さんの楽曲「スタア」「さよならサンセット」「si! si! c!」について書いて行きます。「スタア」作詞・作曲 伊藤薫、編曲、船山基紀、デビュー曲でしたがオリコンヒットチャートには入りませんでした。
このレコードが発売されたのは1980年06月21日です。同日発売の作品を調べてみましたが、田原俊彦『哀愁でいと』、オフコース『Yes-No』、YMO『ライディーン』と強敵揃いでした。
そのためレコードの購買層がデビュー曲に目を向けずに上記の楽曲へと流れた事が考えられます。レコード発売日は、出来るだけ同タイプのバンドやアイドルと被らないように決めるものですが、あまり上手く行かなかったようです。
「さよならサンセット」作詞、伊藤アキラ 作曲、安部恭弘 編曲、船山基紀のトリオで製作されてこちらもオリコンヒットチャートインせずでした。歌は下手では無いのに何故に売れなかったのか不思議です。
「Si! Si! C!」作詞、伊藤アキラ作曲、和泉常寛 編曲、大村雅朗のトリオで製作されました。武田食品工業のプラッシーのCMソングです。この曲も大ヒットはせずに悲しい状況となったようです。
逆にデビュー当時から歌が上手すぎて、ファンがつかなかったのかと感じてしまいます。まあ、松田聖子さんは、元々歌唱力がありますがデビュー曲では若干下手に歌いリリースを重ねるほどに元々の歌の上手さを発揮していったようです。
それが出来ればもう少し売り方は違ったのかもしれません。あまり素直に勝負すると裏目に出てしまうと言うことがあり、まさにそれだったのでしょう。そうでないとアイドルファンとしては応援し甲斐が無いと思うところもあるかもしれません。
もしかして歌の売れない原因はそこかも知れません。
まとめ
自殺という形で他界しましたが、遺書などはないので本当の真相は本人にしかわかりません。