1970年代から80年代にかけてアイドルとして活躍した能勢慶子さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 能勢慶子 (本名 吉田 慶子)
- 生年月日 1963年3月16日
- 出身地 千葉県
- カテゴリー 女優、タレント
- 活動期間 1978年~ 1983年
現在。結婚してる?歌唱力の評価や「アテンションプリーズ」「裸足でヤング ラブ」の誕生秘話は?
現在は、芸能界を引退しました。理由は撮影途中で自律神経失調症となってその後仕事が上手く行かなくなり20歳で芸能界を引退しました。その後は、一度も芸能界に復帰することもなく一般人として生活されているとのことです。
芸能人は精神的にタフでなければ活動は出来ません。何故精神的に崩してしまうのかと言えば労働時間が不規則であるためにしっかりと体を休めることが出来ず、疲労を貯めたまま翌日の仕事を熟すことが多いためです。
芸能界で昔から言われていたとメディアで聞きましたが、芸能人として成功するコツはどこでも眠れることと言うのです。それが出来ないと芸能界から離れるという選択をしないとなりません。
華やかに見える芸能業界ですが、売れれば売れるほどプライベートがなくなり、売れなければ売れないで焦りを感じてもがいてしまうと言う困難な道を歩まなければなりません。それ位辛くもあり楽しくもある世界です。
そのため憧れてデビューしても現実とのギャップに苦しみ、芸能活動継続出来ず消えた人が多く存在します。昭和の芸能界よりも現在の芸能界はその辺が改善されたようですが、まだまだ労働環境はあまり良くないと言えます。
能勢慶子さんは芸能界引退後、ミュージシャンの人と結婚し3人の子供に恵まれ生まれ育った文京区で暮らしているとの事で人として幸せな人生を過ごしているようです。テレビで少しだけ取り上げられたことがあるようですが、芸能人時代より綺麗になっていると言われています。
歌唱力については、あくまでも自分が聞いた感じで判断するしかないのですが、一言で言ってヘタウマでは無いかと思います。上手いかと言われればそうでは無いし、下手かと言われれば思い切り振り切った下手でもありません。
能勢慶子さんの評価については容姿に関する物が多いです。例えば元気であるとか健康的であるといった物が殆どです。当時のファンの方も歌の方にはあまり期待せず容姿や演技を見て楽しんで居たようです。
ここからは、能勢慶子さんの楽曲「アテンションプリーズ」「裸足でヤング ラブ」について書いて行きます。「アテンションプリーズ」は、能勢慶子さんにとってデビュー曲にあたり、作詞、喜多条忠、作曲、浜田省吾という今ではあり得ないコンビで製作されました。
何故、浜田省吾さんが作曲したのか?についてはホリプロに浜田省吾さんが所属していたので、ホリプロに当時在籍し活動していた歌手は提供を受けていました。因みに和田アキ子、山口百恵、能勢慶子さんなどが楽曲を提供されていました。
この当時はデビューしてからまだ1.2年しか経過しておらず、若手ミュージシャンだったことから恐らく提供するに至ったと思われます。楽曲内容はアイドルソングらしい爽やかな仕上がりとなっています。
デビュー曲と言う事ですが、ヘタウマながらも自分の歌にしているという感じです。売上は2万6千枚、オリコン最高62位。新人としては大健闘したのでは無いかと思いますが、年末の賞レースにはエントリーされることはありませんでした。
「裸足でヤング ラブ」は、浜田省吾さんの作詞・作曲です。ヘタウマ感を維持したままですが、充分に自分のものにしているそんなイメージを持ちました。浜田省吾というか船山基紀さんのアレンジが素晴らしいです。
原曲のスコアが見てみたいものですね。どれ位のテンポで作ったのか?どんな感じだったのか、そして、そこからどうやってアイドル感たっぷりの楽曲に作り替えたのか知りたいところです。
しかしながらアレンジの力はやっぱり凄いと思います。
まとめ
ホリプロスカウトキャラバン3回目の優勝者でデビューしましたが、女優業先行でのちにレコードをリリースするパターンでした。歌はヘタウマで当時のファンを魅了していたんだろうなと想像してしまいます。