アイドルそして女優として活動した薬師寺容子さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 薬師寺 容子
- 生年月日 1974年12月31日
- カテゴリー アイドル・女優
- 活動開始 1986年
現在の活動。結婚してる?ブログは?「原宿物語」「恋はバイ・ユア・サイド」の誕生秘話は?
現在は芸能活動を行っていないようです。その理由として薬師寺容子さんのブログを見ると、日常生活についてのことしか書かれていません。芸能人として活動をしているのであればその辺のことも沢山書きたいと思うものですが、それも無いのです。
もしかしたら、現在はフリーで活動しておりブログのコメント欄などから仕事を頂くスタンスなのかもしれません。今後、芸能界とどのようにして関わっていくのか興味をそそるものではあります。
最近大きい事務所に入っていた芸能人が、事務所を辞めて個人事務所を設立することも増えてきましたので恐らくそのパターンかもしれません。続いては結婚しているのかについて書いていきます。
2019年に介護福祉士の国家資格を取ったようですので、そちらを活かして活動されているようです。
結婚はしており、二人の子供がいます。しかしながらお相手の人は一般人のようで情報はありませんでした。ブログに関しては、アメーバブログで『やくしじようこブログ 優しい気持ち』というタイトルです。
現在までに29本の記事を投稿、いずれもテーマは『優しい気持ち』となっています。。スタートは2019年5月ですが、2020年は投稿なし今年は27本の記事を投稿しています。
ここからは薬師寺容子さんの楽曲「原宿物語」「恋はバイ・ユア・サイド」について書いて行きます。「原宿物語」は映画『もうひとつの原宿物語』の主題歌でした。作詞・麻生圭子作曲・大内義昭のコンビで製作されました。
アイドルソングの匂いを残して居る楽曲です。歌は正直言うと普通の感じであると思います。作曲の大内義昭氏は良い楽曲を作るなと思いました。後に『愛が生まれた日』を藤谷美和子さんとデュエットすることになって大ヒットを残す歌手になります。
現在は他界してしまいましたので、こう言った曲を生み出すこと出来ないのですが、アイドルというイメージを損なわない感じは良いと思います。薬師寺容子さんにとってはデビューシングルでしたがチャートインせず、楽曲は世間に響かなかったようです。映画の興行成績も解りませんでした。続いては「恋はバイ・ユア・サイド」作詞・作曲SANTAでセカンドシングルでした。
こちらもヒットチャートに入ることはありませんでした。歌についてはファーストシングルと引き続き、アイドル臭を残した楽曲です。売れる楽曲かと言われれば正直疑問符がつきますが、アイドルソングが許された時代背景もあります。
この後、シングル3枚、アルバム1枚をリリースしました。因みにレコード会社だったTDKコアは現在再編されて麻布リースという名前になっています。時代の流れを感じてしまうレコード会社の一つです。
レコード会社自体は残ることは結構難しく売上が芳しくない場合は吸収合併が何度も行われレコード事業から撤退する会社も少なくありませんしその場合歌手は他のレコード会社への移籍をすることになります。
現在は作品については、Amazon等で購入する事は出来ますが本人がテレビ等で出演する可能性は低そうです。
まとめ
今回は薬師寺容子さんを掘り下げてきましたが、アイドル歌手としての活動はあまり上手く行きませんでしたが、女優としての活動をしていました。結構上手いこと運んでいたようです。
現在は、介護福祉士の資格を取って社会に貢献しているようです。今後、老人は増える傾向にあり、居ないと困る存在になりますから、良い仕事に就いたと思いました。今後、どのようにして芸能界と関わり合うのかとても楽しみです。