1990年代に活躍した東京少年を色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- バンド名 東京少年
- 活動開始 1988年
- カテゴリー ポップスバンド
現在。笹野みちるやメンバーは何してる?「プレゼント」「陽の当たる坂道で」の誕生秘話は?
東京少年としては、1991年に解散して以後復活の動きはありません。ここからはメンバーは何をしているのか?について書いて行きます。
ボーカル 笹野みちる
東京少年のボーカルであり、作詞作曲エッセイなどを書いていました。当時はタブーという空気があった同性愛者である事を告白し、世間を驚かせてしまいました。今でこそ渋谷区で同性愛者の結婚を認めるなど性的マイノリティーをオープンに告白できる体制が整いつつありますが、それでも世間はざわつくというのは変わりありません。
現在は、音楽活動の拠点を東京から京都に移し京都町内会バンドを結成しています。2000年代序盤まではソロアルバムをリリースするなど活発な動きをしていましたが近年の動きがわかりません。
ギター 手代木克仁
東京少年解散後は1992年にアメリカに渡り1996年に帰国しぞくぞくかぞくやセンチメンタルバスのレコーディングに参加するなど、ミュージシャンとして活動を継続しています。
また、映画John and Jane Doe(坂上忍監督)のサウンドトラックを手掛けた事もあります。
ベース 中村英夫
2014年に病気のため他界しました。
キーボード 水上聡
東京少年解散後、ティポグラフィカというグループに加入。解散後の活動は掴めていません。
ここまではバンドのメンバーが解散後どの様な活動をしているのかについて触れてきましたが、ここからは「プレゼント」「陽の当たる坂道で」について触れて行きます。プレゼントはらんま1/2熱闘編のエンディングテーマソングとして使用され東京少年の代表曲として認知されました。
東京少年にとって4枚目のシングルで、作詞は笹野みちる 作曲はギターの手代木克仁が担当しました。「陽の当たる坂道で」は同タイトルのミニアルバムがありタイトルチューンでした。
作詞作曲はプレゼントと同じでプロモーションビデオも存在しており監督は岩井俊二監督でした。当時はまだ有名になる前であり色々なミュージシャン乃プロモーションビデオを撮影していたようです。
バンドはわずか数年で解散しましたが、理由等には触れられていません。
まとめ
今回は東京少年を掘り下げてきましたが、バンドの再結成や再始動は全くといって無さそうですね。ボーカルの笹野みちるさんについて才能が溢れる感じがありますからまたソロでも良いから復活してほしいものですね。
今の時代はレコード会社に頼らなくても作品を発表できる場所はいくつもあります。例えば自分でネットショップを立ち上げてそこで歌をダウンロード販売するであるとか、場所を借りて弾き語りで歌い歩き、作品を手売りする等の方法もあります。
作品を作る気があれば行動を起こせる時代になりました。ベテランと呼ばれるミュージシャンでもメジャーレコード会社を外れてインディーズで活動しているミュージシャンもいるのでどうしても作品を発表したい場所が欲しいのなら圧倒的な行動力で自分の活動方法を確立してしまうことが出来ます。そのため活動する気にさえなれば、いつでも再始動が可能です。
また、同性愛者告白は相当勇気があったという事は言えます。色眼鏡や型にはめ込んで人を判断したい人たちが多い日本では中々理解が得づらいのです。今でこそそう言った告白をしても一定の理解を得られる環境や場所がありますが、本当の意味で許容してくれる国ではありませんし、法の整備も追いついていません。
もしかすると日本には住んでおらず、海外移住している可能性も否定は出来ません。海外は性的マイノリティーを受け入れてくれやすい環境が整っている可能性もあり日本よりは住みやすいのかなそんな事を考えてしまいます。
笹野みちるさんは今でも『京都町内会バンド』で音楽活動をされていますよ。『京都町内会バンド』は結成23年目くらいになると思います。ライブも東京と京都を中心に定期的に行われています。