出典:THE BOOM ザ・ブーム ベスト DQCL-2128 Special Edition
90年代にヒットを連発したTHEBOOMを掘り下げていきます。
プロフィール
- バンド名 THE BOOM
- 活動開始 1986年
- カテゴリー 民族音楽・ポップス
現在の活動。メンバーは何してる?「風になりたい」「島唄」の誕生秘話は?
2014年12月の日本武道館のライブで、解散しました。その後はメンバーそれぞれの活動に入っています。バンド自体はいつ復活するかはわかりません。さてメンバーの活動を掘り下げていきます。
ボーカル 宮沢和史 生年月日1966年1月18日
THE BOOMの活動中から世界の音楽へと視野を広げていて、ブラジルなど世界各国を旅して音楽のバリエーションを広げました。また、THE BOOMの楽曲の殆どを作っていたために余計新しいものを探して右往左往したのではないかと思われます。
ソロになってからは弾き語り全国ツアーを行うなど、かなり自由な形で音楽活動を行っていました。その後沖縄の大学で講師を務めるなど音楽の知識を後進に伝える活動も始めました。
また、2013年に頸椎を痛め音楽活動を4か月休むなど、体も酷使していたと思われます。
近年少しずつ歌唱も再開しており、歌う事がまた出来るようになっているようです。また、新バンドガンガズンバのボーカリストでもあります。
ギター 小林孝至 生年月日 1965年12月26日
THE BOOM解散後はTakashi+projectをスタートさせてジャンルに囚われないミュージシャンへの活動を行っています。ギターリストとして参加したり編曲家として裏方業務へも従事しています。
ベース 山川浩正 1965年5月11日
THE BOOM解散後は、劇症型1型糖尿病を発症。この病気は本人の不摂生とは関係なく自己免疫疾患が原因とされています。また、インスリンが分泌されなくなるため糖を処理することが出来ず糖尿病に至ります。
治療法はないので、インスリンを打つことにより命を繋いでいる状況です。最近ではペン型の注射器もあり小さな子供でも打つことが出来るように改善されました。また、この病気の発症者が全員メンバーの1-GATAを作りバンド活動を行っています。
現在も活動は継続中であり、病気と付き合っていくという姿勢を感じるバンドであるという感じを受けました。
ドラム 栃木孝夫 1958年7月11日
元々はサポートメンバーとしてTHE BOOMにかかわりを持ちました。バンド20周年の時に正式メンバーとなり、現在に至っています。ここからはTHE BOOMの楽曲「風になりたい」「島唄」について掘り下げていきます。
風になりたいは、日本のサンバ曲を作りたいという宮沢和史のひらめきから生まれた楽曲であり、6枚目のアルバム極東サンバからシングルカットされたものです。今でも世界各国でカバーされており歌い継がれています。
続いては島唄、この歌は元々1992年12月にウチナーグチ・ヴァージョンとして沖縄限定で発売されそれが爆発的に流行り1993年6月にオリジナルバージョンとして全国発売された曲です。沖縄にはもともと島唄というものはあり、昔から三線等を教える年寄りは認めてくれない部分もありました。
何故なら、沖縄県人が作った楽曲ではないうえに沖縄戦で亡くなった兵士の事を歌にしています。いずれの曲も作詞作曲は宮沢和史さんです。
まとめ
今回はTHE BOOMを掘り下げました。バンドを解散した後もメンバーそれぞれがミュージシャンとして活動しており、再結成の可能性はかなり低いとは思われますね。バンドとしてはやり切ったという所でしょうか?
また、ボーカルだった宮沢和史さんの活動状況へと注目が集まりますが、歌う事を少しずつやり始めたという事なので近いうちに完全復活はありうるかもしれません。また島唄には意外なエピソードがあったことに驚きを隠しきれませんでした。
民族音楽を積極的にJ-POPに取り入れたので、ほかのバンドやボーカリストとは一線を画した形となってしまいましたね。