ビーイングが作り出した2人組MANISHを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- グループ名 MANISH
- 結成年 1992年
- カテゴリー ガールズ ユニット
- 所属事務所 スターダストプロモーション
- レコード会社 ZAINRECORDS
現在。西本麻里と高橋美鈴は結婚してる?「もう誰の目も気にしない」「声にならないほどに愛しい」の誕生秘話は?
ビーイングが勢いに乗っていた1990年代中盤、芸能プロダクション大手のスターダストプロモーションと業務提携を結んでおり、MANISHのメンバーも所属していました。しかし、業務提携が解消されたため表向きは活動休止という形で事実上の解散となりました。
西本麻里と高橋美鈴が現在結婚しているかどうかは不明です。また、音楽業界に要るわけでもないので消息は不明です。まあ活動休止理由は、業務提携解消という理由なので本人達の音楽性や実力と関係なく解散させられてしまったという要素が強いので嫌気が刺したのかもしれません。
MANISHの音楽性はポップスでしたがシンセサイザーを使ったデジタルサウンドとハイトーンのボーカルで活動を続けていれば、今でも生き残っていた可能性はあったのでは無いかそう考えてしまいます。
しかしながら、大人の事情でそれが出来なくなった。音楽活動に対しても向き合えなくなったという可能性があります。また、ビーイング的にも2人組音楽ユニットが当ったのでそれを続けようとして組まれたユニットでした。
続いてはMANISHの楽曲「もう誰の目も気にしない」「声にならないほどに愛しい」について書いて行きます。「もう誰の目も気にしない」実はこの曲MANISHに取って初のオリコンベスト10入りした楽曲と言われています。
作詞は小田佳奈子、作曲 西本麻里という作曲はオリジナルメンバーによる楽曲であり、作詞だけは職業作家による物となっています。基本はバラード調であり高橋美鈴のハイトーンボイスがうまく生かされた楽曲となっています。
続いては「声にならないほどに愛しい」この曲はMANISHにとってセカンドシングルでありMANISHの知名度が上がったスマッシュヒットの楽曲と言えます。作詞、上杉昇、作曲 織田哲郎、というヒットを出すために作られた楽曲。
テレビ朝日が当時中継していたパリダカールラリーの番組テーマソングとして起用されましたが、大ヒットには結び付かずスマッシュヒットとなりました。しかしこの曲が売れたことで歌番組などに出演するきっかけとなりました。
また、この曲は後に作詞の上杉昇がワンズの曲時の扉のカップリングでカバーしていますが、アレンジはほぼ同じであり、キーだけ上杉昇に合わせてあります。
まとめ
ビーイングのやり方として、一つの楽曲が当るとその楽曲をコピーしたかのようなアレンジの曲が続き、バンド編成も2人組のユニットが売れるとそれをベースに楽器や男女を入れ替えてユニット作るのが一つの特徴です。
B’zが1990年代になって当ると、KIX‘Sが出てきて、その後MANISH、パメラと次から次へと送り出してきましたがやはり芸能界は厳しいのか?一つ当れば後のグループは中々当てるというのは難しいようです。
B’zだけが残り、それ以外は解散してしまいました。やはり長く音楽活動を続けるにはある程度売れ続けないと、余裕を持った活動は出来ません。途中でミュージシャンには問題が無くとも大人の事情で解散してしまうケースもあります。
そのため本当は活動したくとも、音楽活動に見切りをつけて別の道を進むと言う事があります。そういう人はもう二度と戻ってくることはなく、ひっそりと音楽からは身を置いてしまうのです。まあそれ位活動しているときには自分の心血を注いでいたので疲れたのと同時に燃え尽き症候群となってしまうのかもしれませんね。
MANISHの2人も、活動休止後も音楽活動をしないのは、燃え尽き症候群もあるのかもしれません。
どなたか消息をご存知でしたら、ご本人たちのご迷惑にならない範囲で教えて欲しいですね。
高橋美れいではなく高橋美鈴さんですよーー