音楽出版ビーイングが、送り出したシンガーソングライターの川島だりあさんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 川島だりあ (本名 川島美香)
- 生年月日 1967年3月21日
- カテゴリー シンガーソングライター
- 活動開始 1983年
- 所属事務所 ZAINARTISTS
- 所属レコード会社 ZAINRECORDS
現在。結婚してる?ライブは?「悲しき自由の果てに」「shiny day」の誕生秘話は?
最近は音楽活動を本格的には行っていないようです。Twitter上では昔の友達に会って女子会したり、飼っている愛犬の写真なんかが良く出てきていていますね。
また、息子というワードがTwitterの中に出てきたので、チェックしていると車で送ってもらった、息子は車の車庫入れに慣れていないという記述があったので、お子さんはいらっしゃるみたいですね。結婚についてはしていたかもしれないし、未婚という可能性もありますね。Twitterを見る限りではライブの予定も無さそうです。
さて、川島だりあが川島だりあになるまでについて軽く触れたいと思います。まず、CBSソニー主催のオーディション、ティーンズポップを受けてスカウトされその後、1986年にSilkの唇でデビューしました。
その翌年1987年クラリオンガール13代目としてグランプリを獲得しました。その時は川島みきと名乗っていました。カーオディオメーカーのクラリオンがキャンペーンガールを募って1976年から2006年にわたって排出した芸能界の登竜門的イベントでした。
クラリオンガールからは、宮崎ますみ、蓮舫、かとうれいこ、原千晶等がいるので数あるキャンペーンの中でも数多くの芸能人を世の中に輩出している物だと思います。しかしクラリオンガールになってもその後も暫くは川島みきとして活動をします。
1991年ビーイングのプロデューサーと出会い現在の川島だりあに改名し再デビューを果たしました。川島だりあとしてはシングル4枚とアルバム4枚をリリースしています。個人的な感触としては良質な楽曲が多いイメージでしたが、セールスは振るいませんでした。
中でもデビューシングルの「shiny day」はポカリスエットのCMソングに起用されたにも関わらず、大ヒットとなる事はありませんでしたがCMは相当流れており記憶に留めている人も多いはずです。
続いては4枚目のシングル「悲しき自由の果てに」についてこの曲は関西テレビのドラマウーマンドリームの主題歌であり、オリコン最高位39位と自身最高のヒット曲となりましたがこのシングルの後ソロ名義のシングルはリリースされていません。
その後1993年から、FEEL SO BADのボーカリストとして活動を開始しました。ジャンルとしてはポップメタルバンドといったところでしょうか?まあガチのメタルバンドで言うとラウドネスが有名ですがあのバンドよりも幾分ポップスよりでした。
しかし、7枚目のシングルバリバリ最強NO.1が最大のヒットでそれ以外の作品は殆どヒットチャートにランクインすることはありませんでした。丁度1990年代の中盤に差し掛かるところでダンスミュージックとロックポップスが入れ替わりを行っている時代とも言えます。
現在バンドの活動は継続しており、2017年に新作PENTAGONがリリースされて次作のリリース待ちです。ここまで川島だりあさんの音楽活動を簡単に振り返ってきました。
まとめ
良い曲あるのに、何故ソロでリリースし続けることが出来なかったのかとても疑問でした。
動画共有サイトなどで聞いて貰えば解りますけど、そんなに楽曲が悪いわけではありません。
たまたま色々な要因が重なって上手くいかなかったのかもしれません。他者に提供した作品を聞いて貰えば良いシンガーソングライターであることは間違いありませんね。個人的には美少女戦士セーラームーンの主題歌ムーンライト伝説この曲の作曲は小諸徹也となっていますが川島だりあさんが作曲しています。この他にもZARDに提供したあの微笑みを忘れないで等があります。
そのため今後もチャンスがあれば、他者への楽曲提供も積極的に行ってほしいものです。