僅か2年間ですがアイドルとして活動した田中陽子さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 田中陽子
- 生年月日 1973年12月12日
- カテゴリー タレント 歌手
- 活動開始 1989年
現在。結婚相手は?「陽春のパッセージ」「夕陽のクレッシェンド」の誕生秘話は?
実は、現在の動向を知ることがデキるSNSがあります。それはTwitterで2015年4月からスタートし、フォロー250人、フォロワー3716人(6月3日現在)ここ最近の内容は料理や身の回りの事をツイートしています。
現在芸能活動はしていないようで、Twitterのプロフィール欄を見ても芸能事務所に所属している訳では無さそうです。最後の芸能活動らしき物は2015年6月にトークイベントに出演して以来新しい活動はしていません。
結婚相手は、プロレスラーのアレクサンダー大塚氏でどの様に知り合ったかなどのなれそめは明らかになっていません。今後、どこかで結婚の真相も語られる可能性があります。しかしそれはいつになるのかは誰もわかりません。
ここからは田中陽子さんの楽曲「陽春のパッセージ」「夕陽のクレッシェンド」について書いて行きます。「陽春のパッセージ」作詞、森雪之丞、 作曲、岡本朗、編曲、鷺巣詩郎のトリオで制作されました。
田中陽子さんをベースにしたアニメアイドル天使ようこそようこのオープニングテーマソングとして起用されて1万7千枚の売上を記録しオリコン最高39位です。アニメの視聴者を狙ってリリースしましたがあまり振るわなかったと言えるでしょう。
「夕陽のクレッシェンド」は、作詞、森雪之丞、作曲、いしいめぐみ、 編曲、鷺巣詩郎のトリオで製作されてアイドル天使ようこそようこ』挿入歌として起用されました。1万1千枚の売上、オリコン49位と振るいませんでした。
まとめ
素行不良で芸能界をフェイドアウトしたのかと思いきや、真相はNGとしていた仕事を強いられ事務所との信頼関係が崩れて芸能界を辞めてしまったことです。当時の事務所も相当焦っていたことは解ります。
ホリプロスカウトキャラバンでグランプリ取ってデビューし、アニメまで制作されて良い感じの売り出し環境が整ってきたところで、一気に売り出したいと言うような事を目論んでいたのでしょう。しかし、急ぐあまり意思疎通が上手く行かなかったのでフェイドアウトしました。
アイドルの売り出し方は色々とあって、最初からきわどい水着を着せて売れてきたら徐々に服を着せて女優に仕立てるイエローキャブ方式や、ある程度アイドル歌手を経験してその後フェイドアウトして女優になって行くやり方などがあります。
この場合は、芸能キャリアを重ねてから歌を再開したりして、それがまた話題になるという女優さんもいます。ホリプロとしては田中陽子さんの売り出し方を少し迷っていてマネージャーも事務所もあたふたしていたのかもしれません。
そのため新たな展開を仕掛けるときにアイドル本人を蔑ろにして企画だけが先行し撮影当日を迎えトラブルになったと思います。芸能プロダクションはここが売り時だと思ったら攻勢を掛けるというのは今の時代でもあります。
ホリプロはその時、田中陽子をゴリ押ししていたのかなと思います。そして、それに答えられれば次の展開へと持っていくように考えられていたのだと思います。しかし、当時の年齢が17才と言う事を考えても耐えがたい環境だったと言うべきでしょうし事前説明もするべきだと感じてしまいます。
芸能界はどうしても売れているときと言うのは、タレントの気持ちや体の状態は無視してしまいがちです。深田恭子さんも適応障害となりましたが、あれも事務所がタレントの体の状態を無視して仕事を入れ続けたことと、許されることが少ない生活環境が起因しているのだと考えてしまいます。
どちらかが許されていればあのような事態に陥ることはなかったかもしれません。とは言ってもトラブルで芸能界から姿を消す人は後を絶たないと思います。