シンガーソングライターの浜田省吾さんを色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- 氏名 浜田省吾
- 生年月日 1952年12月29日
- 出身地 広島県 竹原市
- カテゴリー シンガーソングライター
- 所属事務所 スカイ&ロード
現在の活動。新曲のリリースやコンサートは「J.BOY」「悲しみは雪のように」の誕生秘話は?
現在のところ最新シングルは2018年9月26日にリリースした『Good Night Angel/Love Train』です。またライブも1月にNHKホールにてチャリティーライブを行いました。
今年も始まったばかりですから、ライブが告知される可能性があります。今後のホームページやファンクラブの告知を待つことにしましょう。
もう一つの顔として音楽プロデューサーとしての顔も持ち合わせています。
プロデュースしたアーティストは中嶋ユキノさん、アルバムは11曲入りで浜田省吾さんは一曲だけ作曲家として絡む程度で、ほぼ浜田省吾さんが考える中嶋ユキノさんの象の元アルバムの制作が進み、今回のアルバムについては自分のオリジナルアルバムで会心作が出来たと思ったときと同じ位の充実感があるという風にインタビューで応えています。
プロデューサーとして自分の音楽性を押しつけず、相手のやりたい音楽性を尊重しながらも切磋琢磨して完成させたもののようです。普通は浜田省吾さんぐらいのネームバリューがあるとそちらの名前が大きくなってしまいがちですが、あくまでもプロデューサーとして後ろでアルバム全体をコントロールすることに徹したようです。アルバムのダイジェスト再生をYouTubeにて視聴しましたが、聞きやすいポップスアルバムという印象を獲ました。
続いては浜田省吾さんの楽曲「J.BOY」「悲しみは雪のように」を掘り下げていきます。まずJ-BOYは、1986年9月に発売された同タイトルのアルバムのタイトルTUNEとなっています。
その後、1990年と1999年、2016年にも形態を変えて再発売されています。J-BOYはジャパニーズボーイの略称で浜田省吾さんが作った造語であり、尾崎豊さんの事を歌ったと尾崎豊さん本人に話をしたエピソードがあった。
歌詞の内容は、個人的な印象で上手くいかないサラリーマンの日常を描いています。このアルバムが発売された1980年代はバブル景気で誰もが浮かれている印象があったのですが、
結構満たされず現代の働いて居る人とシンクロする部分もあります。
時代を超越した名曲と言っても過言では無いでしょう。しかしながらシングルカットはされていないのでアルバムの曲なのですが知名度はかなり高いと思います。ドラマ『愛という名のもとに』で挿入歌として流れていたのでそれでこの曲を知っている人もいるはずです。
続いては「悲しみは雪のように」は、1981年11月26日に発売し、その後1992年にフジテレビのドラマ「愛という名のもとに」の主題歌に起用されたため1992年に再発売されました。
実は浜田省吾さんに楽曲を依頼する際に新曲をお願いしたのですが、ドラマの内容を聞いて「悲しみは雪のように」しかないという事でアレンジとサイズを直してリリースされました。
因みにこの曲でシングル一位を獲得しました。それまではシングルで一位を撮ったことはなくこれが自身初のシングル一位となったというアーティストとしてもある意味勲章を手にした楽曲と言えます。
まとめ
浜田省吾さんというと、ファンクラブがチケットの予約にあまり積極的なことが有名で、昔は浜田省吾さんを純粋に応援するファンクラブとなっていました。しかし近年ではチケットも少しは取れるようになっています。それ位純粋な応援をファンに求めたのかもしれません。
優先予約でチケット取っても、転売する不届き者が居るのでファンクラブのチケット優先予約というのも、問題を根本から解決出来ていないと思います。山下達郎さん等もチケット転売をライブMCで語るほどになってしまいました。チケット転売については法律を立法すべく国も動き出しています。
純粋に好きなアーティストのライブチケットを適正なルール・価格で買えて、より手軽にライブに行けるような世界になって欲しいです。