90年代後半にSHAZNAがカバーしたことで改めて知られるようになった楽曲「すみれSeptemberLove」を世の中に送り出した一風堂を色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- バンド名 一風堂
- 活動期間 1979年~1984年
- カテゴリー ポップスバンド
現在。土屋昌巳やメンバーは何してる?「すみれ September Love」の誕生秘話は?
一風堂は現在解散状態となっており、復活という声は聞こえてきません。ボーカルだった土屋昌巳さんは、現在ソロミュージシャンとなっており2015年に新作アルバムとソロライブを行った後は活動状況が掴めていません。
毎年一枚の作品をリリースするアーティストもいますが、大体思いついてそれが形になるまでそれなりの時間を要する可能性がありますね。今は新しい作品を作っているのか若しくは準備しているという可能性もありますね。
キーボード見岳章さんは、フジパシフィックミュージックに所属しており映画音楽やドラマ音楽の制作を行っています。代表曲は美空ひばりさんの川の流れのようにがあります。一風堂解散後は秋元康さんに誘われる形でアイドルソングの作曲を担当しました。
とんねるずの「一気」や「雨の西麻布」、おニャン子クラブの「恋のクエスチョン」などがあります。そんな活動の中美空ひばりさんの復活を掛けたアルバムを秋元康さんがプロデュースすることになり見岳章さんにも依頼が来て作曲したのが川の流れのようにでした。
当時、シングル候補として上がっていたのは「背中」、「孔雀の雨」、「ワルツを踊らせて」の3曲に絞られていました。しかしながら、レコーディングを進めて行く中で「川の流れのように」が良いと言いだしてシングルカットが決まったという逸話があります。
また、秋元康さんは谷村新司さんの「昴」のようなメロディーを付けて欲しいと言って依頼しその結果完成したのがあの曲です。演歌というよりもミディアムテンポのポップスのような曲調で有り聞いた人の耳を惹きつける不思議なメロディーラインを持っている楽曲ですね。元々ロックやポップス、テクノをやっていたことも有り、演歌に対する固定概念がないことが良い方向に働いた結果だと考えてしまいます。
これにより見岳章さんの名前が世間に注目されるようになり、ドラマ音楽の世界でもトイレの花子さんやケイゾクなどのドラマ映画音楽を担当しました。今後も依頼があれば楽曲制作を行うと考えられます。
ベース平田兼吾さんとドラム藤井章司さんの両氏は病気により既に他界しています。ベースの赤尾敬文さんは、1980年に一風堂を脱退した後の音楽活動経歴は解りません。
続いては一風堂の楽曲「すみれ September Love」について書いて行きます。
この曲は、カネボウ化粧品のCMソングとして起用されて一風堂の楽曲の中で最大のヒット曲、作詞は竜真千子さん、作曲土屋昌巳さんでした。当時音楽を聴く感性が優れていた人は既にこの曲を認知していたのかもしれませんが、SHAZNAのバージョンで知ったという人も多いはずです。
楽曲よりもSHAZNAのコスチュームが凄すぎてという感じでしたね。しかしながら時代を超越している楽曲ということだけは当時聞いてみて理解することは出来ました。大体名曲という奴は時代を超えてカバーされてもそれなりに色々な人の耳に響くものです。
これにより一風堂が注目されましたが、既に解散状態となっていたため過去の演奏映像で確認することしか出来ず、土屋昌巳さんが実際に来てくれて歌唱してくれることはありませんでした。
それだけに伝説化してしまっている部分もありますね。今後誰かがまたカバーすれば再び脚光を浴びる可能性がありますし、そうされることで楽曲の良さも再認識することが出来ますね。
まとめ
一風堂はメンバーが2人他界しているため、既にオリジナルメンバーでの復活は無理で今後も一風堂復活の可能性はとても低く今後も楽曲だけが生き残っていく事になる可能性が高いです。