おニャン子クラブのメンバーとして活躍した吉沢秋絵さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 吉沢秋絵 (本名 吉沢 章江)
- 生年月日 1968年10月20日
- 出身地 東京都東村山市
- カテゴリー おニャン子クラブ 元メンバー 会員番号25番
現在。結婚してる?「なぜ?の嵐」「流星のマリオネット」の誕生秘話は?
吉沢秋絵さんは現在芸能界を引退しており、表舞台に姿を現しておりません。出版業界に従事していた時期もあったようです。また、1993年に本名の吉沢章江名義で『神様、ごめんなさい!!』をリリースしました。
現在でもマスメディアに出演するおニャン子クラブのOGが当時のエピソードを語っていますが、吉沢秋絵さんは出演することはありません。インターネット上では死亡説等も飛び出していますが、これは事実ではありません。
芸能活動ではありませんが、引退後はオーディオ系の雑誌や中古車情報誌に本名で掲載されたこともありました。
結婚しているのかについては、1996年に一般男性と結婚し長期にわたり海外へ滞在しましたが現在は帰国していると言う情報があります。
また、子供の存在については、授業参観に出席しているところが週刊誌に出たこともあるため子供がいることは間違いありません。今後、お子さんが芸能界デビューする運びになった際は再び吉沢秋絵さんがマスメディアに登場という可能性も否定できません。
ここからは吉沢秋絵さんの楽曲「なぜ?の嵐」「流星のマリオネット」について書いて行きます。スケバン刑事Ⅱの主題歌として起用されおニャン子クラブからのソロデビューは2人目でした。
因みに昭和のこの時代、アイドル歌手が主題歌を担当したら主演したらも出来るのでは無いか?と思います。実際その方向で話が進んでいたようですが、当時吉沢秋絵さんには彼氏がいてそれが表沙汰になると色々なところへと影響が波及するという事が懸念されて南野陽子さんがオーディションに合格したという話もあるほどです。
作詞 秋元康、作曲 :山梨鐐平、のコンビで作られて10万4千枚の売上を記録しました。「流星のマリオネット」作詞 谷穂ちろる、作曲 山梨鐐平のコンビで作られており4万5千枚の売上を記録しています。
通算で8枚のシングルをリリースしましたが、セカンドシングル「季節はずれの恋」が最も売れておりリリースする毎に売上は落ちていきました。やはりおニャン子クラブの人気が落ちて解散すると同時に個人の売上も落ちたようです。
まとめ
一代ムーブメントを作り出したアイドルグループを卒業で離れた場合、その後芸能人一個人としてのブランドを作っていくのが大変でその作業に時間が掛かってしまうと人気も終わってしまうと言うケースも多くありません。
グループを卒業したその人に人気があったわけではなく、そのグループに人気があったに過ぎません。そのため卒業後はパッとしない芸能人が圧倒的に多いのです。もしかしたら自分一人でも売れるかもと言う勘違いから起こることで現実はそんなに上手くは行かないのです。
そのため元おニャン子クラブで考えて見ても現在残っている人はとても少なくて貴重な存在となっています。今でも残っている人というのは、セルフプロデュース能力に長けている事は間違いないでしょう。
ステップとしては、まずソロデビューして、ライブ、ドラマ出演、映画出演などと色々な方向へと活動の触手を伸ばすことで成功していくのですが、これは大抵の芸能人は出来ないまま芸能生活を終えていくのです。
また、別業態で成功して幸せな生活を営んでいる人も多く芸能人になる事が出来てその後未練なしにシフトチェンジしていく事が出来ていることが凄いと思いますし、これもなかなか出来る事ではありません。