おにゃん子クラブのメンバーとしてデビューし、その後ソロとして活動もした河合その子さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 河合その子
- 生年月日 1965年6月20日
- 出身地 愛知県知多郡横須賀町
- カテゴリー 元おにゃん子クラブメンバー 会員番号12
- 活動開始 1985年
現在の活動。結婚してる?性格は?「青いスタスィオン」「涙のジャスミンラブ」の誕生秘話は?
1994年に芸能界引退しており、その後2000年に後に触れる夫の後藤次利さんが音楽を担当したドラマ『多重人格探偵サイコ雨宮一彦の帰還』に一瞬出演しました。その後、2010年に資生堂のCMに出演しそれ以来芸能活動の情報はありません。
現在に至るまで芸能界に復帰を熱望するファンの声はあるものの実現しておりません。2021年現在は実家の横に立てた自宅が生活場所となっています。需要はあるのでオファーを出し条件が整えばマスコミに再登場の可能性は高いです。
結婚については、しています。相手は日本のアイドルポップス界を牽引した作曲家の一人後藤次利さんです。代表曲を列挙すると、工藤静香の「嵐の素顔」、とんねるずの「どうにかなるさ」、「情けねぇ」、「ガラガラヘビがやってくる」、「一番偉い人へ」等多数あります。
サブスクサイトスポティファイにプレイリストも作られていますので、興味のある人は視聴してみてはいかがでしょうか?また、当時は売れていたので彼女も複数居たと言われており、工藤静香さん等とも付き合っていると言う報道が出たほどです。
後藤さんを調べてみると、実は結婚は2回しており1度目は木之内みどりさんで二人の間に子供も居ます。その後離婚しました。また、河合その子さんは2度目でこちらも子供がいます。一時代を築き多くのアイドルを世の中に出してきたので女性にも相当もててきたことは間違いないようです。
ここからは、河合その子さんの性格について書いていきます。『おにゃん子クラブ』の生みの親作詞家の秋元康氏曰く『元祖塩対応』と語っており、ぱるるよりも先に塩対応の芸能人っていたんだなと言うのは驚きです。
性格は大人しいタイプであまり自分をアピールして前に出てく事が得意では無いタイプの女性では無かったかと思われていますが、しかし打ち解けると社交的であったと言われています。
芸能界に対するスタンスも、何が何でも売れてブレイクしていくというような感じはなく、ソロ活動した時期は早く満たされた感じの活動状況だったのかもしれません。そのため自分をあまり出さなくとも仕事が出来たのかも知れません。
ここからは河合その子さんの楽曲「青いスタスィオン」「涙のジャスミンラブ」について書いて行きます。「青いスタスィオン」はサードシングルで作詞、秋元康、作曲後藤次利のコンビで制作されました。
当時は現在の坂道、48グループなどのブーム同様おにゃん子クラブも一時代を彩るムーブメントを起こしていたので、歌の上手さなどはあまり関係なくおにゃん子クラブ関係者が作品をリリースすると売れていました。
また在籍中にリリースされているので、売れることは間違いなくおにゃん子クラブでソロシングルをリリースしたメンバーの中では歴代2位の売上を誇っています。また、森永ハイソフトのCMソングに起用されて河合その子さん自身も出演しました。
当初のタイトルは、『思い出着替えて』だったがレコーディングディレクターよりフランスのテイストが入ったタイトルにしたいと提案を受けて次に考えたのが『風のチェルシー』。
しかしチェルシーという単語は使えず「青いスタスィオン」に決定しました。売上も30万枚を超えて一番売れたシングルとなっています。
「涙のジャスミンラブ」はデビューシングルで、作詞はT2となっています。これは後藤次利さんと当時のレコーディングディレクターの共同ペンネームでした。作曲は後藤次利さんでした。
おにゃん子クラブのメンバーとしての初のソロシングルであり、売上は19万枚。オリコン週間1位、年間50位というセールスを記録しました。この後シングルレコードのセールスはリリースする度に売上は下がっていきました。
まとめ
今後芸能界に復帰する可能性はとても低いそんな感じがしますが、往年のファンもいらっしゃるので節目節目では活動して欲しい、そんな気がします。