1990年代に歌手女優として活躍した貴島サリオさんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 貴島サリオ (本名 井下 さおり)
- 生年月日 1974年2月19日
- 出身地 愛知県 半田市
- カテゴリー 歌手 女優
- 活動開始 1992年
現在の活動。結婚してる?年齢は?「あきらめないで」「赤い砂」「私がそばにいる」の誕生秘話は?
現在の活動は、休止中で芸能活動の予定はありません。今後、活動する場所が整えば復帰する可能性はあると思いますが、それはいつになるかは本人しかわかりません。結婚しているのかについてですが、結婚しています。
現在の夫はグラフィックデザイナーのバジル・フィンドレー氏です。名古屋市熱田区でジョイフルノイズ英会話教室を運営しており、貴島サリオさんも講師として活躍しているようです。
因みに現在の結婚は2回目で最初の結婚は井上ヨシマサさんで、離婚しています。1980年代から作曲家として活動しており、アイドルへの楽曲提供が多く近年では48系や46系などへの楽曲提供が続いています。
離婚の理由は定かではありません。しかし何かが合わなかった事だけは確かでしょう?因みに再婚はしていないようで子供もいない見たいです。井上さんは一時、中山美穂と交際していた時期もありました。
貴島サリオさんの年齢は1974年2月19日生まれ、47歳になりました。若い頃の風貌しか覚えていないので現在はどんな感じになっているのかは解りません。今後表舞台に出てくることがあれば明らかになるでしょう。
貴島サリオさんの楽曲「あきらめないで」「赤い砂」「私がそばにいる」について書いて行きます。「あきらめないで」作詞・遠藤京子、作曲・羽田一郎のコンビで製作されました。オリコン最高位109位。
デビュー曲でしたが、アルペンのCMソングでした。CDシングルの売上げは惨敗、余程の予算を掛けないと成功するものではありません。しかし、冬のスキー用品絡みのCMソングは売れるものですが、名前が浸透していなかったからだと思います。
「赤い砂」は、作詞・貴島サリオ、作曲・井上ヨシマサのコンビで製作されました。オリコン67位、東芝アリーナのCMソング。歌唱力が必要な楽曲でラテンテイストにアレンジされています。
発売当時、聞いたかもしれないという記憶はかすかにありますが楽曲を聴いてもこの曲忘れてたという感じにはなりませんでした。今聞くと良い曲だなと言う感じを受けました。貴島サリオさん自身が作詞に参加した意欲作で曲の内容は不倫歌です。この当時そのような状況の恋愛でもしていたのでしょう。
「私がそばにいる」作詞・作曲 貴島サリオ、「私からKiss」のカップリングソングでした。オリコン最高位76位、OVAアニメKEY THE METAL IDOLのエンディングテーマソングでドラマCDでは長沢美樹さんが歌唱しています。
芸能界デビューしてからレコード会社もポニーキャニオン、ユアーズに所属しており特にポニーキャニオン時代はシングル10枚、アルバム4枚、ユアーズ時代はinsideというアルバムをリリースしています。
相対的にはあまり歌手活動も上手く行かなかったみたいです。「Together光の中で…」がスマッシュヒットと呼べますがそれ以外の楽曲は聴けば覚えているという曲があるものの大きなインパクトを残すことは出来なかったようです。
当時、所属していたポニーキャニオンは相当プッシュしていたようで文化放送で放送されていたトヨタスーパーカウントダウンフィフティーなどに良く登場しており貴島サリオって名前を良く聞いたというイメージがありました。
実情は思ったよりも上手くは行かず、活動をしていたという事がオリコンのヒットチャートのランクインした順位から読み取ることが出来ます。女優としてもドラマに出演しており出演作品を見たこともありました。
まとめ
今後は表舞台に出てくることは無いと思いますが、世の中には知っている人もかなりいると思います。今後も発売した作品はリスナーを癒やし、カラオケで歌う人もいるかもしれません。