1980年代後半にデビューし、活躍した国実百合さんを色々な角度から掘り下げていきます
プロフィール
- 芸名 国実百合(本名 土屋百合)
- 生年月日 1970年12月19日
- 出身地 高知県 高知市
- カテゴリー アイドル、セラピスト、カウンセラー
- 活動開始 1988年
現在の活動。結婚してる?「青い制服」「ボーイフレンド」の誕生秘話は?
一時、芸能界を引退していました。理由としては体調不良で芸能活動と両立しながら病気を治療していくことが困難だったようです。そのため一時引退という選択をして一線から身を退いたと言う事です。
その後、過去のような派手な形での活動ではなく、地道な形で復帰しており音楽活動やセラピスト、マヤ暦カウンセラーとして活動しています。これに関してはOfficialブログがありますが、2015年以降ブログ更新が滞っており現在の活動の動向は解りません。
結婚しているかについては、実はしており現在の姓は国実では無くて土屋らしいのです。また離婚した等の報道はありませんので、現在も結婚生活は継続されていると思います。続いては国実百合の楽曲、「青い制服」「ボーイフレンド」について書いて行きます。
「青い制服」の作詞は、麻生麗二、実はこの名前、作詞家売野雅勇の別ペンネームです。アイドルのデビューソングとしては質の高い楽曲であるというイメージです。ボーカルについてはまだまだこれから歌い込まないと厳しいという感じはあります。
しかしながら顔も可愛いですし、80年代はアイドルデビューすると名刺代わりにレコードをリリースする流れになっていました。そうする事でアイドルと歌手として色々な方向に活動の幅を広げていこうとする流れになっていました。
その流れに乗った形のリリースでしょうが、どの程度CDやレコードが売れたか等のセールスデータはありません。楽曲の歌詞は卒業して行った先輩に思いを寄せる女の子の気持ちを描いた歌です。
しかし、リリースが1988年3月と言う事で丁度色々と入れ替わろうとしていた時代でその頃バンドブームが後ろから迫ってきている時代でした。そのためアイドルがデビューしてもその後アイドルは冬の時代に入っていくのでアイドルにとっては厳しい時代とも言える時です。
続いては、「ボーイフレンド」今度はノリの良い楽曲ですが、如何せんボーカルが曲の内容について行けていないと言うのが印象です。まあ、最初は下手で徐々に上がっていきますが、その成長がイマイチ感じられませんでした。
作詞、作曲はデビューシングルと同じで、全く違う曲調ですがそれをあまり歌いこなせていないと言うのが残念です。この後シングル12枚、アルバム6枚をリリースしました。現在も個人で芸能人として活動していますが、アイドルとして冬の時代を過ごしてきたのであまり良い想いが出来なかったのかもしれません。
まとめ
今回は、国実百合さんを掘り下げてきましたが1988年デビューのアイドルについて調べてみました。Winkや西田ひかるさん、藤谷美紀さん、中山忍さんと結構残っています。まあ、アイドルの時に一番ブレイクしたのはWink。
西田ひかるさんは、デビュー時はそれほどでもなかったですが、年を重ねるほどに人気が出たイメージです。藤谷美紀さんと中山忍さんは今でも2時間ドラマで活躍してる姿を見る事が出来ます。
確かにCDをリリースしそのままアイドルのイメージを引き摺りある程度の年になると女優に転身させられると言うパターンの前にアイドルとして活動しながらも他の道でも活躍の場所を探すという感じです。
例えば、バラエティー番組に出てみたりする事であの子お笑いも出来るということになり、バラエティーで活躍の場を与えられたりしてそのうちタレントとして芸能界に馴染んで行く訳ですが、アイドル業だけではなく芸能人としてより生きるような感じを求められる時代かも知れません。
今では、事務所がタレントやアイドルに色々やる提案をして、好きでもないのに仕事のためにやらせるという事が多く、それが付け焼き刃なのであまり浸透しない訳です。1988年位からアイドルでデビューしても生き残りが難しい時代の入り口に立っていたのかも知れません。