高校在学中に、第一回ホリプロスカウトキャラバン決勝大会でスカウトされ、アイドル歌手としてデビューを果たしました。その後は裏方に回り、現在活躍しているミュージシャンのサポート役に回っている河合夕子さんを色々な角度から掘り下げます。
プロフィール
- 氏名 河合夕子
- 生年月日 1958年12月20日
- 出身地 愛媛県 松山市
- カテゴリー アイドル歌手、ボイストレーナー、コーラス、会社役員
- 活動開始 1981年
- 所属事務所 レジェンドア
現在の活動。結婚してる?ライブは?「バスクリン・ビーチ」「フジヤマパラダイス」の誕生秘話は?
現在の活動ベースは自分が出る側ではなく、ドラマや映画のサウンドトラックのコーラス参加、多数のアーティストの作品に参加してのコーラス、ライブでのコーラスなど主にコーラスとしての活動です。
上記の活動の他では、新人の発掘指導とメンタルトレーニング、会社役員等の活動を行っています。コーラスとして活動を継続できると言う事は、色々なミュージシャンに声を合せることが出来るという事の証明です。
昔、電波少年で松本明子さんが久保田利伸のコーラスオーディションを受けたシーンを観たことがありますが、一声歌って自分と合わないと思ったらオーディション落選という位厳しい世界ですから、実力があることは間違い無いと思います。
因みに自身の活動は1983年頃まででその後は作品をリリースしてはいません。
ホリプロスカウトキャラバンの第一回大会の優勝者は、榊原郁恵さんでしたが、河合夕子さんの場合は正当派の歌手として売り出そうとした可能性があります。しかし、27歳の時にスタジオミュージシャンに転向しています。
因みにスタジオミュージシャンの仕事は主に、レコーディングスタジオでの仕事で招へいしてくれたミュージシャンの意向に沿ったコーラスや音を出さないといけません。そのためその場でそれが表現できないミュージシャンはスタジオミュージシャンとして活動して行くことは難しいと考えられています。
簡潔に言うならば、ミュージシャン特有の個性は必要としない仕事ですので、人間の気質として職人肌という人が就く事が出来る仕事です。因みになるためには自分の人脈を使って仕事をゲットする方法が一般的です。
河合夕子さんの活動歴を参照すると沢山のミュージシャンと仕事をしているため、関わったミュージシャンの楽曲やライブのクオリティーを上げており、次から次へと仕事が舞い込んでいる感じだと思います。
ここからは結婚しているのかについて書いていきます。調べてみましたが結婚したというようなネット記事はありませんでした。まあ、していても今は芸能人、つまり出る側にいないため発表する必要性はないのかもしれません。
ライブについては、河合夕子さん名義では開催していませんが、ミュージシャンのサポートでステージには立っています。そのため、全くライブを行っていないわけではありません。今後もこのような形で活動を継続していきます。
ここからは、河合夕子さんの楽曲「バスクリン・ビーチ」「フジヤマパラダイス」について書いて行きます。「バスクリン・ビーチ」はCMソングとして起用されており、作詞は河合夕子さんと売野雅雄さんの共作で、作曲は河合夕子さん自身です。
因みにセカンドシングルでは、ジャマイカンClimaxがA面、B面が「バスクリン・ビーチ」でした。その後AB面を入れ替えて再発売されています。
当時のセールスデータはありませんので、どの程度売れたのか等は解りません。曲調はミディアムバラードでセカンドシングルにしては声が既に完成しているそんなイメージを持ちました。
「フジヤマパラダイス」こちらはロックテイストになっており、この曲の作詞も売野雅雄さんとの共作、作曲は河合夕子さん自身です。こちらもあまり売れなかったようで当時のセールスデータなどはありません。
まとめ
今回は河合夕子さんについて書いてきました。YouTubeで楽曲を参照しましたがボーカリストとしては完成度が高いと感じました。少し歌の下手な可愛いアイドルが売れていた時代だったから、実力を兼ね備えたアイドルはあまり売れなかったようです。
時代が違っていれば、シンガーソングライターとして活動継続できた可能性が高いですね。