ふたりの愛ランドで知られる石川優子さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 石川優子 (本名 田中)
- 生年月日 1958年10月3日
- カテゴリー シンガーソングライター
- 所属レコード会社 東芝EMI
現在。結婚した夫は?ライブ情報や「クリスタル モーニング」「シンデレラ サマー」の誕生秘話は?
1990年に一度引退しましたが、歌手活動は2009年に再開。CHAGEのデビュー30周年アルバムの中に収録される、ふたりの愛ランドを別バージョンで再アレンジしレコーディングしたことが起点です。
2016年に『僕らのポプコンエイジ』というライブに参加しています。と言う事で一度芸能界を引退しましたが今も歌手として活動を行っています。また、引退期間中は何をしていたかというと、ニューヨークに留学していたようです。
またその他にも映画評論やDJ、職業作家などをしていました。1994年には荻野目洋子さんに曲を提供していました。勿論、昔ほど人気はありません。しかしながら聞きたいという人は少なからず存在する事は確か、つまり需要があると言う事になります。
何故引退したのかまでは不明ですが、やはり一度表舞台を経験した人は忘れることが出来ないのかもしれません。続いては結婚した夫についてですが、1990年に引退宣言をしている間に結婚をしました。
相手は元マネージャーの人で、詳しい個人情報はわかりませんでした。また、子供をひとり設けています。現在はライブの予定もありません。歌手活動も再開していますからいつしかまたイベント等に出演する可能性がありますね。続いては石川優子の楽曲「クリスタル モーニング」「シンデレラ サマー」について書いて行きます。
石川優子さんにとってはサードシングルで、作詞三浦徳子、作曲小田裕一郎、コルゲントローチのCMソングでした。因みに石川優子さん自身も作詞作曲をする事が出来るのですがプロの作家が書いた楽曲がシングルとしてリリースされました。
因みにB面の楽曲については石川優子さんが作詞作曲をした曲が収録されています。ここからは個人的な推察ですが、良い曲だけど売れるレベルまで行かなかったのかもしれませんね。
そのため楽曲を作ったけども、この曲は売れないなと判断されたのかもしれません。これは時代が変わって現在でもリリースになるまでにアーティストは葛藤を繰り広げているのです。
続いては「シンデレラ サマー」7枚目のシングルにして初めて自身の作詞作曲曲であり、オリコン初登場10位を獲得し、ランキング番組などにも出演を果たしてデビューから3年が経過しており念願のヒット曲でした。
因みに81年の沖縄JALキャンペーンソングに起用されていました。因みに3年後CHAGEとふたりの愛ランドをリリースして石川優子さん自身も大ブレイクを果たしました。
まとめ
芸能人は売れるとこれでもかとばかりに色んなメディアに出ることがありますよね。つまり世間的にはブレイクという状態になるわけですが、その状態になるとテレビや雑誌、WEBなどで名前を見ない日は無いですね。
しかし、ブレイクしても芸能人も人間なので疲弊してしまいます。そして疲れて休養を余儀なくされることがあります。ある意味芸能人は世間が相手にしなくなったら終わりの職業なので稼げるうちに稼ぐというのが本音です。
そのため働き方改革も無視したようなブラック労働を強いられる事もあります。それが自分で歌を作り出すシンガーソングライターなら歌を作り出す時間やじっくり思案する時間などが無いので当然、まともな歌は出てくるはずがありません。
石川優子さんもそのような状態から一度引退したのかもしれませんが、やっぱり輝いていた時代を忘れることが出来なくて復帰したみたいですね。今の活動サイクルなら、比較的自由に活動をする事が出来るから良い感じに曲が発信できますね。
作曲の才能もありますから楽曲提供も依頼があれば可能ですから、活動的には余裕で出来そうな気がします。