イモ欽トリオと言えば、1980年代バラエティー番組欽ドンから派生したユニットとしてブレイクしました。しかし、今現在はどの様な活動をしているかなどについて色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- グループ名 イモ欽トリオ
- 活動期間 1981年~1983年
- カテゴリー 番組派生ユニット
- メンバー 後に触れます。
現在。長江健次やメンバーは何してる?ライブは?「ハイスクールララバイ」の誕生秘話は?
イモ欽トリオの現在の活動は休止中という表現が正しいと思います。元々番組派生ユニットでしたから、番組が終了してしまえば活動終了というのが当り前の末路です。しかしながら欽ドンはフジテレビの月曜21時に放送されていたバラエティー番組で1987年まで放送されていました。
放送時間帯は最終的に、月曜21時からの放送で落ち着きましたが、その枠に落ち着くまで色々な放送枠で番組が放送され、色々な萩本欽一氏の手掛けた番組の総称が欽ドンと呼ばれていました。
そんな中で出来上がったユニットがイモ欽トリオですが、視聴率が高かったので現在でもこのユニットのことを覚えている人は多いのです。ここからはイモ欽トリオのメンバーについて触れて行きます。
メンバー
山口良一
- 生年月日 1955年3月27日
- 出身地 広島県
現在も芸能界に残り、タレントや俳優として活動を続けています。噂の東京マガジンという番組にはレギュラーで出演しており、活躍している姿を見る事が出来ます。また、佐藤B作が主宰する劇団東京ヴォードビルショーに所属しており毎年舞台出演をしています。
長江建次
- 生年月日 1964年7月17日
- 出身地 大阪府
現在もタレント活動をしているようですが、所属事務所はフリーしくじり先生に出演して自分の過去の失敗を授業形式で語っていました。1990年代にはスノーボードのインストラクターとして活躍しているという話でした。
西山浩司
- 生年月日 1961年1月10日
- 出身地 香川県
現在も佐藤企画に所属しタレント活動を継続しています。一時肉体を張る仕事をしていましたが、現在はタレントとして活動を継続しています。レギュラー出演しているものは特にありません。
ここまではメンバーの現在について掘り下げてきましたが、3人とも芸能界に残っていますね。やはり苦労を積み重ねた人たちというのは強いと言うことだけが印象に残った感じがあります。
イモ欽トリオのライブについてですが、時折復活したなどと言ってネットニュースになる程度でしっかりと活動している状況ではありません。今後も何処かで復活してライブを行ったという情報が報道されるかもしれません。
続いて、イモ欽トリオの楽曲「ハイスクールララバイ」について書いて行きます。作詞松本隆、作曲、細野晴臣。基本的には番組を流行らせようとして作られた企画ソングです。当時番組からの派生ヒットという形式はほぼ無く欽ドンがその先駆けと言われています。
当初はソロデビューさせる形で話が進んでいたが、萩本欽一氏が一人はまずい、やるなら3人でと発言、レコード会社が口説いてこのシングルが誕生しました。これによりバラエティーを見る事の無かった世代まで呼び込み視聴率を稼ぎ番組の起爆剤となりました。
思いの外売れたため、世代を超えて知られる楽曲となり、多くのアーティストがカバーしています。
まとめ
イモ欽トリオについては、自身も幼少期にカセットテープに録音してきいていたことがあり、覚えています。テクノ風味がする当時としては挑戦的な音楽の部類だったと思われます。
形としては企画盤ですが、相当なヒットを生んで経済効果が相当有ったのでは無いかと考えてしまいますね。現在月曜21時の放送枠はドラマ枠となっていますが、またいつの日かバラエティー枠に戻る可能性があるのでは無いかと考えてしまいます。