早見優さんをはじめて認識したのは、まだ少しアイドルという位置づけで売られている時期で早見優のアメリカンキッズという番組を見たときでした。こんな早朝にどうして英語の番組と思った記憶があります。
今回は色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 早見優
- 生年月日 1966年9月2日
- カテゴリー タレント、歌手
- 活動開始 1982年
- 所属事務所 キープスマイリング
現在の活動。結婚してる?家族や子供は?「夏色のナンシー」「急いで初恋」「渚のライオン」の誕生秘話は?
現在は、タレント活動だけではなくZUNBAというフィットネスダンスのインストラクターとしてオンライン配信をしており、ダンスとフィットネスを融合したExerciseで有酸素運動+筋トレにもなると言う物です
主催しているサークルの名前はhaPPyサークル、1レッスン600円で受けられるというのもリーズナブルです。この他、比較的仲が良い松本伊代さんとオフィシャルYouTubeチャンネルいよいよゆうゆうチャンネルも運営しています。
結婚しているのかについては、1996年にアメリカンスクールの先輩だった福田富雄さんと結婚しています。なんと世界的有名なスイス銀行の日本支店に勤務するという優秀な銀行員です。
早見優さんとのツーショット写真もありますので、参照するとイケメンである事が解ります。また子供は二人いていずれも女の子。長女が有紗2001年生まれ、次女が花怜2003年生まれ、長女が二十歳、次女が一八歳なので芸能界にデビューする可能性があります。
早見優さんの家族については、母親、祖母、そして早見優さんという三人家族で兄弟はいないようで、父親とは早見優さんが三歳の時に離婚しておりその後は母親とハワイに渡米し育ちました。
母親はとても行動的な人で過去にはモデルとして活動していた事もあるほどの行動的な女性でグアムで旅行代理店を営んでいました。父親は早見優さんが生まれたときは飲食店を経営していました。
しかし、ジャズSingerの側面も持ち一時早見優さんとジョイントライブを行っていた時期もありました。ここからは早見優さんの楽曲「夏色のナンシー」「急いで初恋」「渚のライオン」について書いて行きます。
「夏色のナンシー」は、5枚目のシングルで26万8千枚の売上を記録オリコン最高7位。本人が出演したコカコーラのCMソング、この曲のヒットにより様々な歌番組、紅白歌合戦に出演しブレイクを果しました。
作詞、三浦徳子、作曲、筒美京平のコンビで作られた楽曲、筒美京平さんが他界した際に代表曲として沢山放送されました。「急いで初恋」は、早見優さんにとってはデビュー曲に当ります。この曲も本人出演のバスボン ヘアコロンシャンプー・リンスのCMソングでアイドルとしてのキャッチフレーズはハワイから来たバイリンガールでした。
売上は6万3千枚、作詞、松本一起、作曲、小杉保夫のコンビで作られました。「渚のライオン」は、6枚目のシングルで「夏色のナンシー」と同様のコンビで製作されました。売上は16万7千枚でした。
こちらも「夏色のナンシー」ほどは売れませんでしたが、スマッシュヒットを記録したため様々な歌番組に出演しました。CMなどのタイアップもなく勢いだけでリリースされファンがそれについていったそして、メディアも後押しした形となります。
まとめ
今回は早見優さんを掘り下げてきましたが、かなり恵まれた形での芸能活動を継続出来ていると思われます。一時、松本伊代さんと二人で入ってはいけない線路のところで写真を撮り芸能活動最大のピンチもありました。
しかし、それも時間と共に世間から許されて現在は特になんの問題も無く芸能活動が出来ていて、新しいExerciseも提案しており流石80年代デビューアイドルは商魂たくましいという感じは否めません。
今後も新しい活動がとても楽しみではあります。