日本のロカビリーというジャンルで、パイオニア的な存在であるBLACK CATSを色々な
角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- バンド名 BLACK CATS
- 活動年 1981年~1999年
- カテゴリー ロカビリーバンド
バンドとしての評価。高田誠一の死因や久米浩司の現在は?「シンガポールナイト」の誕生秘話は?
BLACK CATSのバンドとしての立ち位置は、ロカビリーでした。元々はアメリカで発祥したロックのスタイルの一つで、音楽ジャンルとして知られてはいますが、売れる音楽ジャンルだと思われていないようです。
日本の音楽ジャンルの作り方としては、売れる音楽ジャンル以外は殆ど相手にしないと言うところがあります。景気が良い時などには売れていない音楽ジャンルから新しいミュージシャンを引き上げようとしますが、商業第一主義というのが常識化してしまっています。
そんな中でも日本のロカビリーミュージシャンと言われると、BLACK CATSの名前が出てくるほどです。ある意味では日本のロカビリーと言うジャンルをもう一度復活させるような活躍をした事は間違いありません。
今後バンドとしてBLACK CATSは、復帰しませんが後に振り返ったときにロカビリー界の一つのシンボルになった事は間違いありません。ここからはバンドのボーカルであった高田誠一さんの死因について書いていきます。
2004年7月29日に白血病で他界されています。44才という若さで白血病という病気も現在の発達した医療環境では寛解する可能性がある病気の一つと考えて良い病気ですが、ウイルスの種類や診察時期により残念ながら治すことが難しいという状況もあるようです。
久米浩司さんは、現在は青野浩司さんで人材派遣会社等の幅広いビジネスを展開しており音楽とはどの程度の距離を保っているのかは不明ですが、別の道で頑張っているようです。
娘さんは、The BiscatsのボーカルMisakiさんです。音楽ジャンルはロカビリーのため父親であり師匠であるという事です。ここからは、BLACK CATSの楽曲「シンガポールナイト」について書いて行きます。
このシングルはセカンドシングルであり、作詞・作曲はBLACK CATSでした。楽曲を聴きましたが、聴きやすい楽曲で今聞くとロカビリーと言うよりもポップスぽく聞こえるところがありますし、ノリも良いですね。
まとめ
今回は、BLACK CATSを掘り下げてきましたが、この記事を書くまで全く知らないバンドでしたが、調べてみるとロカビリーというジャンルで売れようとして頑張ったのかと思いきや勢いで結成したと言う事でした。
しかしながらメジャーデビューまでもあまり時間が掛からずやることが出来ましたがメジャーデビューしてからあまり売れることはなく、比較的早期に解散してしまったようです。
冒頭でも書きましたが、日本の商業第一主義の音楽業界にはまらなかった可能性も否定は出来ません。
もし、レコード会社が敷いたレールの上に乗ることが出来たのならある程度長期の音楽活動が出来た可能性はあったと思います。結成同期はクリームソーダーというお店の店員で勢いのままに6人で結成してやれるところまでやってみようという感じだったようです。
若いときは何も考えず衝動的に動いたのかと思いきや、そうではなくショップ店員を続けながら音楽活動を続けるという独自の考え方を持っています。生活がしっかり出来てその上での音楽活動という考え方があったようです。
日本だけで活動は終ったのかというと、ロカビリーというジャンルで世界へと打って出てワールドツアーも成功させた経歴を持っています。1980年代で世界挑戦はなかなか出来る物ではありませんしよく出来たと思います。
現代であれば情報発信媒体も発達しているので、海外活動も容易かもしれません。現在は逆に増えすぎて見つけて貰う事が大変になったという贅沢な時代とも考えて良さそうです。
少し時代が速かった言えます。