出典:〔amazon〕爆風スランプ ベスト DQCL-2127
今活動休止中の爆風スランプを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- バンド名 爆風スランプ
- 活動開始 1982年
- カテゴリー ロックバンド
- メンバー 下記参照
現在。復活はある?「ランナー」「それから」の誕生秘話は?
現在バンド自体は、解散も休止も宣言せずに活動を行っていません。これにはサンプラザ中野くんが更年期障害を患いバンド活動が出来ない状態に陥り、その後バンドとしての活動は行っていません。
因みに所属事務所アミューズには、在籍したままですがレコード会社との契約は現在無いようです。そのため作品をリリースしようとしたならばレコード会社に新しく入らないと活動出来ません。
インディーズという選択肢がありますが、やはりプロモーションや作品の流通の面ではメジャーに劣ります。そのためやはりメージャーレーベルに入ることがバンドを輝かせるためには必要なことかもしれません。
復活はあるかと言えば、あるとは思いますがいつになるのかは解らないと言うのが本当の答えになります。というのも1月から3月の間にオールナイトニッポンプレミアムでサンプラザ中野くんがパーソナリティーを務めてラジオを放送しました。
しかしその中で、語られたのは過去のエピソードでしたからバンドとしてここからどうなって行きたいとかそんな話は出てきませんでした。どういった真意がそこにはあるのか正直謀りかねてしまいます。
続いてはメンバーの現在について書いて行きます。
ボーカル サンプラザ中野くん (旧芸名サンプラザ中野)生年月日1960年8月15日 出身地 山梨県
基本的に爆風スランプのフロントマンであり、作詞も担当しています。個人的にはラジオパーソナリティーや小説も書いています。近年ではMXテレビのお昼の番組ひるキュンの火曜パーソナリティーを務めています。
また、一時株に手を出したことがあり一瞬儲かったのですが最終的には損失を出して株からは手を引いています。また、サンプラザ中野くん個人でトイズファクトリーと契約をしており、作品はリリース出来る状態にあります。
また、活動休止後はパッパラー河合とともにスーパースランプを結成しています。
ギター パッパラー河合 生年月日1960年9月14日 出身地千葉県 柏市
バンド結成時からの創設メンバーであり、バンド活動休止後はプロデュース業に進出しまだローカルアイドルだったパフュームの楽曲2曲を作曲しました。その他ポケットビスケッツやブラックビスケッツなどの楽曲を作曲しました。
近年でも柏発のアイドルグループ、コズミック倶楽部の楽曲もプロデュースしています。
ドラム ファンキー末吉 生年月日1959年7月13日 出身地 香川県坂出市
バンド活動休止後は、様々なミュージシャンとコラボレーションを行っています。また、北朝鮮でロックライブを行うなど音楽活動も盛んです。また、2009年5月八王子にXYZ-Aをオープンさせて営業中です。
また、JASRACと印税の分配金を巡って揉めており、訴訟の決着は明らかになっていません。
ベース バーベQ和佐田 生年月日1959年7月10日 出身地 京都府
爆風スランプには、前メンバー江川ほーじん脱退のため加入。その後現在までメンバーとして活動を続けています。音楽的にもロックからフュージョン系まで音楽性が広く様々なミュージシャンとコラボレーションしています。2007年に大久レコード(DAIKYURECORD)を設立し代表取締役を務めています。
続いては爆風スランプの楽曲、ランナーについて書いて行きます。この曲は爆風スランプの前メンバー江川ほーじんが爆風スランプを去って行くため、エールを送る意味で描いた楽曲です。
作詞はサンプラザ中野、作曲はファンキー末吉であるが本人曰く20年に一度かけるかどうかの名曲だと言っていたようです。当時は風呂なしアパートに住んでおり近くにある大学の寮にお風呂を借りるという生活を送っており、最初にランナーの原曲を聴いたのはファンキー末吉さんの仲のよかった大学生でした。
発売当初はセールスが振るいませんでしたが、徐々に浸透していき大ヒットしました。
今でも替え歌でCMソングに使用されるなど、爆風スランプを語るときには避けては通れない楽曲です。
続いてはそれからについてです。作詞はサンプラザ中野、作曲はダン木多。アルバムIBWの中に収録されている楽曲でトリビュートアルバムに収録される際175Rが歌ったことでもお馴染みですが、楽曲エピソードはありませんでした。
まとめ
今回は爆風スランプを取上げてきましたが、バンド復活は今のところ無いようで今後も周年の度に何かしらの動きはあるかもしれません。