1983年デビューし、芸能界的には不作と言われていた時代のアイドル徳丸純子さんを色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- 氏名 徳丸 純子
- 生年月日 1966年6月26日
- 出身地 大分県
- カテゴリー アイドル歌手
- 所属事務所 株式会社シュルー
- 活動開始 1983年
現在の活動。結婚してる?「聖・ファーストラブ」「恋はシーソーゲーム」の誕生秘話は?
現在も芸能事務所に籍を置いており、芸能人として生き残り続けています。直近の仕事は1983年組の同期の仲間で立ち上げたイベント、『不作と言われた私たち「お神セブンと申します」』のイベントに出演したのが最後です。
その他ではブログを運営しているので、ブログを覗いてみれば今はどの様な事を考えているのかなどが垣間見えると思います。続いては結婚しているのかについてですが、現在はしておりシアトルに住んでいます。
続いては徳丸純子さんの楽曲「聖・ファーストラブ」「恋はシーソーゲーム」について書いて行きます。「聖・ファーストラブ」はデビュー曲であり、作詞・阿久悠 作曲・小杉保夫のコンビで作られましたがセールスが伸びず、オリコン118位と惨敗。
歌声はアイドルらしい歌声で、少し下手ではありますがこれ位が丁度良いという歌声ですね。今後売れるという事を期待しているからですが、なかなか厳しい立ち上がりとなった様です。
「恋はシーソーゲーム」はサードシングル。作詞・大貫妙子、作曲・清水信之のコンビで作られましたが、こちらもセールスが芳しくなく116位と惨敗しました。その後歌手活動を休止する形となりました。
アルバム2枚、ベスト2枚、シングル5枚とリリースは出来ましたが世間に響かず僅か一年程度の歌手活動でした。その後は女優に転身し、舞台やドラマに活躍の場を求め活動場所を移していきました。
まとめ
芸能界的に言えば、1981年デビューは薬師丸ひろ子さん、松本伊代さんなど今でも残っている人が殆どで芸能界の中心で働いている人ばかりです。また、1982年はシブがき隊や早見優さん、中森明菜さん、堀ちえみさんなどが居て名前を聞いただけでも華やかだと言う事が解りますよね。
今回取り上げた徳丸純子さんのデビューした1983年は、芸能界的には不作の年と言われています。2年続けて当たり年でこれはもっと行くぞと思った矢先の1983年でした。アイドルという立場から見ると確かに売れませんでした。
しかし細かく見るとチェッカーズ、のちのCCB、アニメクリーミーマミで一世を風靡する太田貴子さんなどがデビューしており、ごく一部の芸能関係者が作り上げたイメージでは無いかと思います。
確かに大ブレイクした人は居なかったですが、後に残っている人は多いです。因みに大江千里さんや杉山清貴さんなどもこの年デビューですが、ジャズミュージシャンやソロボーカリストとして残っていますし、チェッカーズは解散しましたが、それぞれ音楽業界で残り続けています。
その他には富田靖子さん、田中美佐子さん、飯島真理さんなど、デビューしています。当時は若手で女性ならアイドル扱いでレコードデビューが約束されていたので、自分は女優をやりたくても一応レコードをリリースさせられる展開になっていました。
そのため今では歌を歌わなくなっている芸能人でもデビュー時はレコードをリリースしている物です。そのため今でもその当時のレコードはお宝として中古レコード屋に出回っているケースがあります。個人的には1983年って芸能界で地道に活動している世代の集まりでは無いかと考えます。
今から考えれば昔の芸能界は、どんどんアイドル作って売り出して良いという時代ですね。現代なら売り出す場合ブレイクさせて回収するためにどうするか?という戦略を立てて走り出す感じでしょうが、この当時は可愛い子がいたらデビュー。とりあえずデビューさせてみるかという感じですね。それだけに当たらない人も沢山いたという事になりますね。