ポプコン出身者である伊丹哲也とサイドバイサイドを色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- グループ名 伊丹哲也とサイドバイサイド
- 活動開始 1980年
- カテゴリー バンド
現在。メンバーは何してる?ライブは?「街が泣いてた」の誕生秘話は?
現在グループは、解散してしまい伊丹哲也さんがソロで活動しています。メンバーについても記述はありませんが、現在編曲家で活躍する十川知司さんがいたようです。1987年からアレンジャーとして活動しており、チャゲ&飛鳥を中心にももクロやエグザイルまで幅広い編曲を熟しています。
伊丹哲也さんのライブについては、今年5月に僕らのポプコンエイジというイベントに出演したのを最後に表立っての活動を行っていません。現在はYoutubeに活動の舞台を移しており、動画をアップしていますので見てください。
公式youtube) https://www.youtube.com/user/fightingrecords
続いては伊丹哲也とサイドバイサイドの楽曲「街が泣いてた」について書いて行きます。ヤマハのポプコンのグランプリ受賞曲です。作詞作曲は伊丹哲也さんでした。実はこの大会に杉山清貴さんも出場しており入賞していました。
曲を聞いてみたところ、街を旅立つときの思いを乗せて作られている曲であり、旅立つ自分に向けて作られた応援ソングのように聞こえる節もありました。まあ、伊丹哲也さんで検索すると一発屋という汚名を着せられています。
実質バンド形態の伊丹哲也とサイドバイサイドでは6枚の作品をリリースしていますが、推察するにファーストシングルのインパクトが強くなりすぎて、その後の5枚のRECORDのインパクトが薄いという可能性があります。
まあこれにはプロモーションのやり方などに問題があったという可能性も否定できません。まあ一発やといわれている人たちの意見を総合すると、勢いのあるうちに次の作品を用意できなかったことが最大の敗因と言われています。
伊丹哲也さんの場合もそうだったのでは無いかと思われますね。もし勢いのあるうちにシングルを立て続けに出してメディア等に出演できるようにルートを作る切れ者スタッフが居れば今も立場は変わっていたと思いますね。
売れるためにはある程度、仮説を立ててそこへ楽曲を送り出して行くことが必要です。そうする事で、唯一無二の楽曲が完成しプロモーションやセールスも変化してくると思います。これはプロデュース能力とも言えます。
それが当たると世間が注目するようになりますが、当たらなければ厳しい展開へと変化していきます。しかし当たると時代を彩るムーブメントを作ることが出来るようになるのです。
考え方は、色々な経験値で手に入れることが出来ますけど、それを実行に移しそして実際に売れていくというのは至難の業です。同じポプコンの出身者チャゲ&飛鳥も最初は演歌フォークでしたが、徐々に音楽性を変化させることに成功し一時代を築いて行きました。
フォーク演歌を振り出しにポップスへと変えて音楽のバリエーションを無限に広げて色々行きました。これも自己プロデュース能力の高さがあります。将来的なビジョンを描いてポプコンのオーディションを受けたかどうかに掛ってきますね。
果たして伊丹哲也とサイドバイサイドは、そこまで考えていたかどうかは解りませんが、恐らく若さの勢いでここまで来てしまったというのが本当のところかもしれませんね。やはりある程度狙いを定めて活動して行かないと上手くいかないと思います。
まとめ
伊丹哲也さんの活動状況の中でYouTubeを活動拠点にしたことは正解と言えますね。何故なら世界からもYouTubeは視聴出来るのである意味ブレイクのチャンスもあると言う事になりますね。
現在はソロになったようなので、自分の思い通りに活動は出来ていますが、セールスとかそう言ったものは望めない感じになってしまっていますね。それはとても残念ですが誰もが売れた状態を維持することは難しいそれを痛感しましたね。
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