出典:[amazon]円谷優子/HELP VAPイヤーズ コンプリート・シングルス
1980年代後半にアイドルとしてデビュー。その後、小室哲哉プロデュースで再デビュー歌手として活動した円谷優子さんを色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- 氏名 円谷優子
- 生年月日 1970年9月14日
- 出身地 東京都 世田谷区
- カテゴリー アイドル、歌手、女優
- 活動期間1988年~?
現在の活動。結婚してる?「Mystery of Sound」「CONFUSED MEMORIES」「HELP」の誕生秘話は?
現在は、円谷プロダクションの社員と結婚し引退しました。その後、芸能界には復帰しておりません。歌手活動歴も長いので本人はやり切ったという感じかもしれません。また、相手については一般人のため素性は明らかになっていません。
今後、あの人は今みたいな番組に出演して語ってくれることがあれば、現在の状況が明らかになる可能性もあります。ここからは円谷優子さんの楽曲「Mystery of Sound」「CONFUSED MEMORIES」「HELP」について書いていきます。
「Mystery of Sound」作詞、MARC、作編曲、小室哲哉
小室プロデュースとなったため芸名を円谷憂子に改名しています。アニメ映画金田一少年の事件簿主題歌として制作されました。1996年12月23日のオリコンで20位を記録しておりこの時点での売り上げは約5万枚でした。
小室哲哉の力をもってしても10万枚超えないのか?という感じはあります。アイドル時代の歌声もユーチューブで確認しましたけど、決して下手ではないのでいろいろなタイミングが良くなかったのかなと個人的には考えています。
「CONFUSED MEMORIES」作詞、MARC、作編曲、久保こーじ
こちらは、金田一少年の事件簿テレビアニメ版の主題歌になっていました。この曲のセールスデータやチャートアクションはありませんでした。アニメ主題歌なので子供が聞いてそれなりには売れたかもしれません。
「HELP」作詞、康珍化、作曲、都志見隆
円谷優子名義でリリースしたデビュー曲、この当時は作詞家の康珍化さんのプロデュースを受け歌手デビューを果たしています。彼と別れてしまい、寂しくはないけど助けてほしいという歌に仕上がっています。
オリコン最高位34位、1万9千枚の売り上げでした。当時は研音という大きい事務所に入っているためかなり力を入れて売り出してもらったものと感じています。デビュー年が1988年で、ちょうどバンドブームということもあったため売れることは難しかったようです。
アイドルとしてはリリースした作品が殆どチャートインせず、惨敗状態といっても過言ではありません。
アイドルとしてデビュー、シングル7枚、芸名改名後3枚のシングルをリリースしましたが大ヒット手にすることはできませんでした。アイドルとしても決して歌は下手なほうではないのでもっとうまく行くのかと考えていましたが思い通りにはいかなかったみたいです。
まとめ
芸能人は売れるためにいろいろなことをしていきます。例えば事務所を移籍、売れるために芸名改名などを行い少しでも風向きが変わらないかと考えているようです。ちなみに芸名を変更。事務所を変えることで売れることがあるのは確かです。
事務所が小さいと仕事が取れない。資金力の面で売り出してもらうことが難しいなどかなり困難な芸能活動をしなければならず、精神的にも厳しい状況になっていきます。円谷優子さんの場合事務所が相当大きいので芸能人としてはかなり恵まれていたと考えていいでしょう。
しかし、アイドル歌手としては歌がうまいのに売れずその後小室哲哉プロデュースになり再起を掛けましたが、小室哲哉プロデュースは多くのアーティストを請け負いすぎてだれがどの曲を歌っているのか?この人は小室哲哉のプロデュースなのか?がよく判らないぐらい乱立していました。
90年代の音楽ブームは、93年にビーイングブーム、94年から小室哲哉プロデュースブームへと入っていきます。篠原涼子、安室奈美恵、華原朋美、globe、Hitomiなどをプロデュースしたころは物珍しかったのですが徐々に楽曲に変化があまりなかったため
飽きられるのも早かったのです。そのため後年にプロデュースされたアーティストへの注目度が下がったともいえます。